【評論】罪を憎んで人を憎まず(書きかけ)


「早く終えたかった」教育実習生が”新型コロナ陽性”と嘘…学校が「一時休校」に 大阪府岸和田市

https://news.yahoo.co.jp/articles/2bec21eda77435b07340fbe65f5513b12194e07e


 こちらの記事を見ていて気になったのが、実習生の実習先の校長のコメントである。

「どうしてそんなことをしてしまったのだという憤りは感じました」

 そりゃ感じるだろうが、その憤りは誰に向けられたものなのか。一人この実習生のみに向けられたものなのだろうか。

 

 教育実習生だけに責任を負わせていいのか。まるで実習生だけが悪いように言っているが、果たしてそうだろうか。実習生がそこまで追い詰められていたことに気がつかなかった学校は悪くないのか。或いは学校がそう追い詰めたのではないか。相談出来る相手はいなかったのか。相談窓口を設けなかった公的機関の責任は。つまり悪いのは「社会」であって実習生本人だけではない。


「罪を憎んで人を憎まず」とはそういうことだと思う。

まあ実習生も、他にもっといい逃げ道はあっただろうにとは思うが、それを示せなかったことも含めて「社会」の責任だ。

 そして予も読者も社会の一員である。この事件は予にも読者にも責任がある(学生でなければ)。「社会人」とはそういうことだ。仕事をして納税をしていればいいというわけではない。

 だから犯罪者更生のための費用を税金で賄うのである。

 無論この事件に限ったことではない。ありとあらゆる事件事故には当事者だけではなく我々一人一人にも責任の一端があると考えるべきであろう。

 例えば老人がプリウスで人をひき殺す。これは当然老人も悪いが、我々は悪くないかといえばそうではない。老人の家族や身の回りの人間には老人の運転を止められなかった責任があるし、そうでないまったく赤の他人には、あの無能な政治屋連中に、運転免許に上限年齢をつけさせられなかったという責任があるのである。

 理不尽な殺人事件や虐待死事件などが後を絶たない。下手人が人を殺すに至るにはそれなりの段階、蓄積があるものである。特に今の時代はルサンチマンをため込んだ抑圧された人間によるアベンジャー型犯罪が多くなる。その者をそこまで追い込んだのは誰なのか。なんなのか。


読者のほとんどはしていない。毎日のように報じられるそういったニュースも毎朝食べる納豆のように見慣れ、気にも留めない存在であり、やって来ては過ぎ去る日々のルーティンである。「一人で悩まないで誰かに相談しよう」


 貧困や教育の問題で起きる犯罪もそうである。貧乏な、教育水準の低い連中が勝手に起こした犯罪、ではないのである。我々には貧困を放置したという責任がある。富を分け与えろとは言わないが、貧困問題を解消しようと真剣に考えたことがある者が読者の中にどれだけいるであろうか。この記事を読んでいる読者はそこらのパッパラパーよりは聡明であると思うが、それでも真剣に考え、かつ行動したことのある者となるとほぼ皆無であろう。考えるだけでは駄目だ。行動しなければなにも意味がない。具体的にどうすればいいのかは各自考えていただきたいが、そういったことに無関心であるのがほとんどなのだ。何故なら自分と無関係だと思っているからだ。

 すべて見て見ぬ振りをしてきたツケである。こういった犯罪の当事者に自分がなるなどとは思ってもいなかった